結婚活動女性に似たようなメンタル面は「自己効力感が低い」ということを意味します。
自己効力感とは「各自のスキルに対する自己評価」という意味ですが、「自らに関してのリライアビリティをもてるか?」といったケースだと考えて頂けるのなら良いでしょう。

これに関してはパートナー探しの条件である、有名大学出身などのいわゆるカタログデータのことでは無く、ご自身の事を「私は☆☆が発生する」「私は△△が不得意だ」と検証して言葉にすることができ、「あなた自身がいかにしたらいいか」が検証できる、
人間にニーズがある本当の機能ということを意味します。

自己効力感の高い人は、自分の考えに評価軸をもっているからこそ、「何をすることが望ましいなんだろうか」くらいの最終到達地点を自分で見極めることが出来るわけであります。

「成婚相手のカタログデータでスムーズになる」ことは、筋違いなのです。

満足がもたらされるのはあなた方自身。結局のところ私本人が、ひとりの心を充実させるのです。

外側からのプロ意識の高い低いなど関連しないものです。

ひとりひとりの成婚相手が「法律家(またはドクター)」「パワーマンションに居を構えている」「高学歴出身」であることに、あなた個人でハッピーな瞬間を感じるのなら、自己効力感が低すぎる状態と言えます。

そういうものさしがないと、パートナーを決定できない、あなた自身に価値があると思い至らないのです。

そこまで自分は、親やマスメディア、時代に洗脳されて心がむしばまれているのだと感づくという条件があります。

どれほど高性能な男性を求めてパートナー探しをしても、それは他人のつくった他人への尺度ですから、いつまで経っても自分の満ち足りた思いを見付け出すはずなどありません。

これまでの儒教教育では、これくらいの「ほんとうの幸せ」について、全く教えてきませんでした。

女の子の義務とは「良妻」でありまして、慈愛や人間関係的つながりや貢献といった場合これっぽっちも取り上げられてくることはありませんでした。

そこの部分は、女性陣が独り立ちした人格でないという持ち味に根ざしたと思います。

では、どういう方法を取れば、自分たちが望むほんとうの満ち足りた思いを獲得できると思われますか?

自分たちがハッピーになりたいと思ったら、自分が「これが至福」と考えている思う状態を持ち上がって、それに勝負を仕掛けることです。

自分の世界に幸せの評価軸をつくり上げることが不可欠となります。

これまで親や社会が押しつけてきた儒教手ほどきは、至福の評価軸を私自身の外に画策することを強いてきました。

つまりそのことは「カタログデータ婚」、結婚活動ができることになりますが、私に言わせてもらえば大間違いだろうと感じます。

こういった婚姻をして嬉しさを感じる経験をすることも想定されますが、それは「アウトカーストの幸せ」に過ぎません。

このような洗脳教育から脱するべく、「それについては不幸せとなってしまうため断ち切ったほうがいい」と望まれている人が必ず現れます。

「野望達成者」と言われているそれは、親や友人など、一人一人に洗脳続けてきた距離が近い物です。
彼ら・彼女たちは、儒教的なセオリーに丸々と浸ってきたから、あなたが洗脳から脱する為にいる行為が、「直接的に不幸になろう」と考えているように映って気にかかっていてならないのです。

そんな折の決まり文句は、「やめなさい、それがあなたのため」。そうなるくらい、儒教思想にもとづく洗脳は根が深いのです。

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